ブログ開設!

重い腰が上がる!

2026年5月。ブログを開設しました。

インターネットで調べものをしても、AIの書いたような整った記事が出てくる。AIが書いていないとしても、優れたフォーマットやデザインでキレイなどこかで見たような文章のサイトがたくさん出てくる。

昔よく見かけていた制作者の日常や人間性や気持ちが見えるようなサイトはどこにいったのだろう。そこにまるで部屋があるような、のぞいているような、隣にいるような、体温があるページ。

私は、高すぎる能力の人のやっていることは参考にし辛いことが多い。

例えば完璧な文章やデザインを見ると、「これは自分には到底届かない」と再現してみようというやる気をなくしてしまいます。

私の趣味の音楽でもそうです。完璧な演奏や・キレイにミックスされた音源・ピッチ調整された音。

これは初学者にとっては参考になるのだろうか。

見る分にはよい。

しかし、学習するとなるとどうだろうか。

私は、自分よりちょっとレベルが上程度の人の演奏の方が参考になる。

「少し練習したらこれぐらいはできそう!」と思える方がやる気が出るのであります。

少しねじ曲がっているかもしれませんがそうなのです。

私はそのような人たちの苦悩しながらも練習しているページを見て、「自分は特別劣っているわけではない」とどこか安心したような気分で練習にはげめたような気がします。

そう、次は私がその安心を与えようということです。

何かが足りないのか多すぎるのか

「世の中、なんだか少し完璧すぎるのでは?」

Webに上がっている情報というのは質が高くなりすぎているような。もちろん便利であり恩恵は受けているはず。便利なのだけど、面白みがなくなっているような。一昔前の個人の自作ホームページがたくさんあったころ、自由に作られ、どこか拙く、本当か嘘かもわからない、しかしなんだか読んでしまう、面白いサイト。これが見当たらない(探せばあるのかもしれないけども)

検索すれば見やすい完璧なサイト、何かしらを成し遂げた人間の作った成果物が出てくる。

そのため、誰もが完璧で自分は全然ダメなんじゃないか?と感じてしまう。生活感や苦労感が感じにくいため、こんなに生活感があり苦労してそれでも特に何か成し遂げたわけではないという自分が何かおかしいのでは、または著しく劣っているんじゃないかと。

例えば世間では簡単と言われる50%ぐらいの合格率の資格試験に落ちてみたりすると、自尊心をやらてしまう。SNSやネットで結果報告を調べると、圧倒的に合格者の報告が多い。

そのため、「自分はダメなんだ」という気持ちになる。しかし、落ちた人はWebを利用していない、またはWebに載せていなかったりする。なので、落ちた人は50%存在するのだ。

しかし、それは見えないのでその感覚は薄い。何者かにならないといけない、何か優れた能力がないといけない、何かやらないといけない。そんなことはないはずなのだが、そんな気になってしまう。

あの頃のWebはいずこへ

「優れたモノしかWebに出してはいけない」

そんなことはなかったはずである。

自由に発信ができ、その自由な発信の中に苦悩した過程や拙い内容が紛れている。それが、不完全な自分にとって、または成長途中の自分にとって希望や参考になっていたのである。「こんな人もいるんだ、自分も好きなように頑張ってみよう」と。

ということで、2026年AIが急速に発展してきた今、逆に人間らしい部分を残そうと思いました。私は16歳から音楽を始めて、身近に詳しい人がいなかったためネットで調べて練習していたのですが、すごく上手な人の演奏や言葉を聞いて「かっこいい!頑張ろう!」とは当時思えなかったのです。

もちろん、かっこいい、すごいというその感情自体はあったのですが。

それよりも、自分より少しうまいかな?という人の言葉や記事の方が中に入ってくるのである。

悩みながらやっているが見え隠れるする文章などがあると、なお参考になる。

不安な気持ちや、よくわからない、これでいいのか?という心情が見えるような練習記事や演奏の音源が、自分のやる気や頑張ってみようという気持ちにつながっていました。

そのため、このサイトではどういう過程があり、どういう風に時間を使い、どういう風に日々を努力しているのか、何を思い、どういう気持ちで学習しているかについてを書いてみます。(これも何者かにならないと…の一貫だったりして)

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